植田八幡宮
撮影地:愛知県名古屋市天白区植田西
LUMIX GX7・OLYMPUS M.ZUIKO DIGTAL 14-42mm F3.5-5.6
大鳥居
拝殿
弁天社
津島社・山神社・神明社
東鳥居・山門
由緒
約1500年前の古墳時代中期(紀元5世紀頃)の前方後円墳の上に、文明3年(1471年)、遠江(静岡県菊川市)の有力な武士団であった横地一族(横地氏の祖は源氏の統領で名高い八幡太郎義家)の横地秀綱が植田に移って植田城を築いた以前から応神天皇を祭神とする八幡社が存在していたと言われています(尾州植田横地氏碑銘録に記載)。
また、第8代横地権蔵秀住は慶長16年(1611年)徳川家康が駿府へ下向の時、先祖一族が忠勤して戦死したことを訴え、家康公より植田村の「永世諸役御免」の朱印を授けられ、植田村が栄えたとあります。
横地一族は植田城主として地域に徳が厚く村の発展に貢献されたとし、初代城主の秀綱と第8代横地権蔵秀住が並祀されています。
他の文献に残るものとして、尾張徳川家の編集した「尾張志」(天保14年、1843年編纂)には、以下のように記されています。
「八幡社、天正八年(1580年)室賀久太夫修造す。是この村の本居神なり、神明社、山神社(二所)植田村にあり」
つてを頼って信濃の小県郡(ちいさがたぐん)から植田城にやって来ていた室賀久太夫は初代横地城主が祀られている八幡社の修理造営をし、後に尾張徳川家に仕官、名古屋城築城の際には親衛隊長(初代御黒門御徒頭)として、大坂夏の陣の際には御使番(参謀)の筆頭となりました。
御祭神
横地秀綱
植田八幡宮HPより