四季の旅人写真館

ブラブラ散歩で撮影しています

大須観音

北野山 真福寺 寶生院 真言宗智山派 別格本山 大須観音
撮影地:愛知県名古屋市中区大須
 

LUMIX GX7MK3・LUMIX G VARIO 12-32 mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.

阿弥陀如来

不動明王

文朱菩薩

普賢菩薩

当寺は、もと尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。御開山は能信上人(のうしんしょうにん)です。
元亨四年(1324年)後醍醐天皇は、勅願を下したまい長岡庄に北野天満宮を御造営になりました。天皇は能信上人に深く御帰依になり、元弘三年(1333年)上人をその別当職に補し、「北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)」という寺号をたまわりました。
能信上人は当寺の開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間おこもりになり、「この世の人々が、おすくいをうけ、おめぐみをいただきますには、どなたさまをおまつりいたしたらよいでしょうか」と一心不乱においのりになりました。
上人の誠は神に通じ、ある夕べの霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、もっともありがたいお方である。」とのお告げをえられ、そのうえ観世音の貴いお姿を拝されたのであります。
そのお姿は、むかし弘法大師が一刀三礼御彫像あそばされた摂州四天王寺大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影でありました。
この霊夢のふしぎは、後村上天皇の御代にいたり朝廷にたっし、みことのりによって、当寺に移され、ご本尊と仰ぐこととなったのであります。それからのち、霊験はまことにあらたかなものがありました。
後村上天皇も厚く上人に御帰依になり、伽藍を建立し、田地をたまい、すえ長く「勅願寺となす」とのありがたいみことのりを下されました。
能信上人は、学徳ともに高いお方で、当寺の所蔵する多数の書物は、東西の学者が珍重しているところですが、それらの多くは、上人がお集めになったものです。
さらに上人はすべてのひとびとら尊信をうけ、ある時には神宮の巫女が、僧伽梨衣(そうぎゃりい)というおけさを大神のおさずけとして持ち来り、又ある時には、神人が鬼面を持って来て「この面は観世音垂跡の夜叉面ゆえに、加持を加え、諸人の禍をのぞき、福をさずけよ」と申したと伝えております。そしてこれらは寺宝となって伝わっています。
御本尊の霊験は年とともに海内にひびきわたり、第二代住職は信瑜上人、第三代住職としては任瑜法親王がおつぎになり、寺領も一万余石におよび、伊勢・美濃・尾張三河遠江信濃六ヶ国の真言宗寺院を末寺としました。
そののち戦国の世となりましたが、織田信長公も寺領五百石を寄進し、徳川家康公に至っては、名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に、当寺を、いまのこの地に移されたのであります。
はたせるかな霊験、日に日に新に、善男善女の参詣きびすを接し、市の一大中心として繁栄し、「大須観音」と俗称され、真言宗智山派別格本山として、今日に至っているのであります。
大須観音HPより
 

大須をゆく

大須をゆく
撮影地:愛知県名古屋市中区大須  「大須観音」駅

 

大須商店街は、名古屋の中心地栄エリアの南側にあたる大須2丁目~3丁目付近に広がる大規模な商店街。このエリア内に約1,200の店舗・施設があります。
定番の名古屋グルメはもちろんのこと、行列のできるB級グルメや多国籍レストラン、カフェなどの飲食店がずらり。ファッションも流行最先端のものから個性的な古着までなんでも揃います。

「愛知の秋葉原」と異名をとるだけあって、大須アメ横ビルに代表される電気街や、サブカルチャーのお店も多々。
もちろん古くから続くういろうの老舗や定食屋さん、喫茶店なども共存しています。
年齢や性別、国籍を問わず、なんでも取り入れる“ごった煮文化”は、大須商店街を海外からの観光客もひっきりなしに訪れる人気スポットに育て上げました。
大道芸やおいらん道中が行われる「大須大道町人祭」、大須の夏を盛り上げる「大須夏まつり」、世界からマニアが集まる「世界コスプレサミット」、大須観音の祭礼「節分会」「馬の塔 子どもみこし」など、四季折々にさまざまなお祭りやイベントが行われています。

今回は商店街でなく大須の寺社を訪れてみました。
 

大須観音
 LUMIX GX7MK3・LUMIX G VARIO 12-32 mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.

寺号は真福寺院号は宝生院。真言宗智山派の寺院。
もと美濃の大須にあったのを、慶長17年(1612)名古屋開府のときに家康の命により
現在地へ移された。
真福寺(大須)文庫は、国宝の古事記をはじめ貴重な蔵書が収蔵されている。

 

七寺

正式名は稲園山正覚院長福寺。真言宗智山派の寺院。
天平7年(735)、行基によって開創された。

 

 

総見寺

 

景陽山 総見寺 臨済宗妙心寺派
6月2日織田信長公命日だけ開門されるようです。

 

富士浅間神社

祭神は木花開耶姫命 
明応4年(1495)、後土御門天皇の勅命によって駿河浅間神社から分霊を勧請し、

まっつたという

 

大光院

曹洞宗の寺院で慶長15年(1610)、清州から移された。

 

陽秀院

曹洞宗の寺院だが、境内にまつられるお地蔵様の信仰で知られる。
これは、境内の石地蔵に濡らした紙を張り付けて祈ると、
地蔵が代わりに病苦を受けてくれるという地蔵信仰で
寛永年間(1624~1644)の霊験談が現代まで生きているもの。

 

万松寺

天文9年(1540)、信長の父・信秀が織田家菩提寺として、現在の桜天神あたりに創建。
慶長15年(1610)、名古屋城築城のとき現在地に移転した。

 

春日神

創建は天礫3年(949)と伝えられ、尾張藩2代藩主・徳川光友出生のとき、
生母・於尉の方が祈願したと伝えられる。



この狭いエリアにこれだけの寺社があり
大須観音以外人出もなくのんびり散策できました。