四季の旅人写真館

ブラブラ散歩で撮影しています

東別院

真宗大谷派名古屋別院
撮影地:愛知県名古屋市中区橘

 

 

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     LUMIX GX7MK3・LUMIX G VARIO 12-32 mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.
山門
最初の山門は、1757(宝暦7)年に建てられ、その後、1881(明治14)年に再建されるも、戦災により焼失、現在のものは1968(昭和43)年に建てられたものです。
山門階上には、釈迦如来像(中央)、弥勒菩薩像(向かって右)、阿難尊者像(同左)が安置されています。

 

 

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本堂
1690(元禄3)年、尾張藩徳川光友公より、古渡城跡の寄進を受け、1702(元禄15)年に、この地に名古屋別院が創建されました。その後、二度にわたる再建が行われ、名古屋城天守閣とともに、その偉容を誇っていました。しかし、1945(昭和20)年3月の名古屋空襲により、灰塵に帰し、現在の本堂は1962(昭和37)年に再建されたものです。
毎日の永代経のほか、各種法要が勤められます。

阿弥陀如来像】
鎌倉時代の有名な仏師運慶の長子湛慶(1173-1256)の作と伝えられています。

 

 

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鐘楼
1692(元禄5))年鋳造との銘文が刻まれています。総高177.5センチ、口径108.0センチ。名古屋市の指定文化財に指定されています。
元日の午前0時から「初鐘」が行われ、毎年多くの人が鐘つきに訪れます。

納骨堂

 

 

 

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古渡城趾
別院の境内地は、織田信長の父信秀の居城であった古渡城の旧跡と伝えられています。信長自身もこの地で元服の式を挙げたと伝えられています。

 

 

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古渡城趾
別院の境内地は、織田信長の父信秀の居城であった古渡城の旧跡と伝えられています。信長自身もこの地で元服の式を挙げたと伝えられています。

 

 

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古渡城趾
別院の境内地は、織田信長の父信秀の居城であった古渡城の旧跡と伝えられています。信長自身もこの地で元服の式を挙げたと伝えられています。

 

 

「東別院」は正式名称を「真宗大谷派名古屋別院」と言い、尾張地方では古くから「御坊さん」ともよばれてきました。

教えは親鸞聖人を宗祖とする「浄土真宗」です。京都市にあります「真宗本廟」(通称:東本願寺)を本山とする「真宗大谷派」のお寺です。

東別院の属する真宗大谷派は全国を地域ごとに分けており、それを「教区」と呼んでいます。ここ名古屋とその周辺地域を含む教区は「名古屋教区」として地域に根ざした取り組みを行っています。

東別院(真宗大谷派名古屋別院)は名古屋教区唯一の別院として教化活動の中心地となっています。
                               東別院HPより