由緒 本能寺の変に於いて亡くなった織田信長公の次男織田信雄が、父の追福の為に、伊勢国大島村にあった安国寺を清洲に再興したもの。この時安土にあった総見寺にちなみ名を総見寺と改めた。名古屋築城のおり、慶長16年(1611)現在の地に移った。戦災により一部焼失したが、寺宝には織田信長公座像、旧清洲城壁画,南蛮渡り金入織物紙入などが現存する。境内には信長公、信雄公の廟があり、毎年6月2日は信長公の命日に当たり、法要を営み、公の冥福を追薦している。明治4年(1871)11月11日から5日間名古屋博覧会が開催されている。(日本で最初の博覧会の名がついたもの)
6月2日の信長公の命日の日だけ門が開きます。