曹渓山 大林寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県名古屋市千種区城山
LUMIX GX7MK3・LUMIX G VARIO 12-32 mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.
本堂
滝川忠征の墓
従五位下豊前守 元は滝川一益の家臣で木全姓でしたが数多くの武功を挙げ滝川姓を与えられます。滝川一益が失領後はそれまで敵対してきた秀吉に仕え以降も数多くの合戦に参加し武功を挙げますが、それ以上に伏見城普請奉行としてその名が残っています(京都名所図会などに記される滝川豊前守は彼のこと)。関ヶ原の戦いでは西軍に属しますが咎められることなくそのまま徳川家に仕えることとなり駿府城や名古屋城の普請奉行を務め、大坂の陣後家康の遺命により徳川善直に付属されることとなります。
忠征の墓石の裏側には寺名にもなっている戒名の大林宗機居士の名が刻まれています。
臨済宗妙心寺派寺院。妙心寺の直末。初め福壽山と号したが後に現在の山号に改めた。
徳川家康により義直補佐の年寄として尾張藩に付けられ、名古屋城築城の普請奉行として諸大名の指南をしていた瀧川豊前守忠征が、寛永五年(1628)一族の菩提寺として建立。本尊は木造釈迦牟尼仏座像。明治維新時に本堂が廃され、庫裏を本堂に兼ねた。中区南桑名町四丁目(元は伏見町)の東側に境内(江戸期は五千七百坪余)があったが、強制疎開で戦時中に本堂や墓を移転。本堂東側の墓地には瀧川家一族の墓碑が林立する。
名古屋市千種区HPより