祭神は応神天皇である。寛文13年(1694)以前の創建と推定される。明治5年(1872)5月に村社に列せられた。由緒については不明である。例祭は毎年10月16日であるが最近は、それに近い日曜日に行われる。
薬師如来坐像は、美濃との国境であった片草町の薬師堂に安置されているものである。像は花崗岩製で、立方体の台部上に置かれている。制作年代は台の正面に彫られている「享保十一年(1726)丙午三月吉日」から江戸時代中期のもので、瀬戸市内に遺る石造仏の中でも古いものの一つである。
台部の正面・側面・背面には反花が刻まれ、その反花に対する請花が坐像に彫られている。像の眼は半眼に彫られ、顔全体が柔和な面持ちになっている。又、法衣は左右対称で、その法衣と袈裟の下から両手を出しており、指を互いに入れ組み、左右の人指し指と親指で薬壺を持っている。
地蔵菩薩立象は、光背に「元禄十七(1704)申四月廿四日」と彫られているように江戸時代中期に制作されている。瀬戸市内に遺されている石造仏は元禄年間の3躯の地蔵菩薩立像が最古の一群で、その内の一例である。一つの花崗岩から台・光背・立像を彫りだしている。
顔は彫りが深く、眼は半眼、上半身は撫で肩で、この時期の石造菩薩立像によく見られる右手に錫杖、左手に宝珠をもった姿である。薬師堂に安置される以前に長年風雨に晒された期間もあったようだが、保存状態は比較的良好で堅牢で上質な地元の石材が使用されたからであろう。
後で調べたらいずれも瀬戸市指定文化財でした Setopediaより