臥龍山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 中馬街道
撮影地:岐阜県瑞浪市陶町大川
林昌寺は延徳2年(1490)土岐氏十五代持頼の子と伝えられ、臨済宗聖沢門派の祖となった、東陽英朝が開山した寺と伝えられています。
山号の臥竜山は、竜が雲を呼び天に登ることを意昧し、開基である小里氏の意気込みが込められています。
境内墓地内にある開山塔(無縫塔)は永正元年(1504)建立とあるが、市内でも一・ニを争う立派なものです。
また、境内の観音堂には明治41年に催された36首の俳句額が掲げられており、当時の文化交流の盛んだった様子を物語っています。
山号の臥竜山は、竜が雲を呼び天に登ることを意昧し、開基である小里氏の意気込みが込められています。
境内墓地内にある開山塔(無縫塔)は永正元年(1504)建立とあるが、市内でも一・ニを争う立派なものです。
また、境内の観音堂には明治41年に催された36首の俳句額が掲げられており、当時の文化交流の盛んだった様子を物語っています。
大川林昌寺の開祖「東陽英朝」は、たいへんな高僧で土岐持頼の子と言われていますから、林昌寺建立の1490 年には既に小里氏(土岐氏一族)の所領であったと考えられます。
なお、東陽英朝は大川林昌寺開山後、法雲山定彗寺(岐阜市)、龍慶山少林寺(各務原市)などを次々に開山し晩年は八百津に住み天寿を全うしたようである。
なお、東陽英朝は大川林昌寺開山後、法雲山定彗寺(岐阜市)、龍慶山少林寺(各務原市)などを次々に開山し晩年は八百津に住み天寿を全うしたようである。
参考:「ぶらっと散策 みずなみ」より