社頭の「長久手合戦史跡 笠松と権道路」解説、それによれば
「笠松のいわれは、今から約400余年前の天正12年(1584)、徳川家康と羽柴秀吉との長久手合戦の際、徳川家康が此処に本陣をおいたとき、冠笠をこの松の枝に掛けて休息したところから、この松の名を笠松と呼ぶようになった。
この時鉄砲の音、戦場のどよめきは岩崎城を望見した家康は、急いでそれまでの陣笠を兜にかえ、御嶽山を降りて駒前から本地川を渡り山道を通って岩崎村の色金川に向かった。
この参道は後年家康が通ったということから、権現様の道即ち権道路と呼ぶようになっている。」
御嶽神社の詳細は不明です。