四季の旅人写真館

ブラブラ散歩で撮影しています

富士浅間神社

富士浅間神社
撮影地:愛知県名古屋市中区大須

 

LUMIX GX7MK3・LUMIX G VARIO 12-32 mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.

愛知県名古屋市中区大須にある長屋の富士講(富士山信仰)の歴史を今に伝える社が
富士浅間神社。明応4年(1495)、後土御門天皇の勅命で、
駿河国富士宮の富士権現(現・冨士山本宮浅間神社)から分霊を勧請して創建した神社で
江戸時代には富士山観音寺(清寿院)の境内社だったもの。

大永6年(1527年)、前津にあった小林城主・牧長清(正室織田信長の妹)が再建しています。
寛永10年(1633年)、徳川義直(とくがわよしなお/家康の第九子・尾張藩の初代藩主)の室・高源院が改築しています。
明治以前には修験道当山派の富士山観音寺(寛文7年に藩命で清寿院と改名)の鎮守社でした。
富士山観音寺(清寿院)の広い境内には芝居小屋や見せ物小屋が並んだといい、尾張三名水のひとつ「柳下水」も境内にありました。
清寿院は明治5年に廃仏棄釈で廃寺となり富士浅間神社だけ残されています。

現存する社殿は、昭和4年築のもの。
商売繁盛を願う大須らしく、富士山信仰の神社ながら本殿前には招き狐が鎮座しています。

ちなみに江戸時代の富士講の指導者・食行身禄(じきぎょうみろく)は伊勢国一志郡美杉村川上(現・三重県津市)の出身。
晴れた日には冨士山を望むことのできた尾張国には富士山信仰が根付いていたのです。

神社近くにある那古野山古墳(那古野山公園)は、かつては富士山観音寺(清寿院)の後園で、明治12年には名古屋市最初の公園(浪越公園)となっています。

                      ニッポン旅マガジンHPより
 

那古野山古墳
江戸時代には那古野山、庚申山(こうしんやま)、明治時代には浪越山と呼ばれていました。
富士山観音寺(清寿院)の後園となった際に、那古野山古墳の前方部を壊して庭が造られ、後円部は浪越山としてその一部に取り込まれました。
このため、現存する古墳は後円部のみなのです。
ただし、平成7年に名古屋市教育委員会が行なった那古野山古墳の墳丘確認調査から、現在古墳の墳丘と考えられた土の多くは中世以降の盛土と認定され、その盛土の下に古墳が隠されていることが判明しています(「那古野山古墳・発掘調査の記録」は名古屋市見晴台考古史料館の編集)。
このことからも、富士講の盛んだった江戸時代中期ころには富士塚として土が盛られたであろうことも容易に想像できるのです。
関東地方で富士塚が築かれるのは15世紀後半とされ、那古野山も中世の盛土という可能性があります。
現在の富士浅間神社(江戸時代は富士山観音寺の境内社)。が勧請されたのは明応4年(1495年)なので、その頃に、古墳を富士塚に修築したのかもしれません。

明治5年に清寿院が廃寺となると、明治12年に愛知県初の公園「浪越公園」(なごやこうえん)として整備開園されています。
明治43年鶴舞公園が開園すると「浪越公園」も廃園となり、大正3年に規模が大幅に縮小されて後円部だけを残す那古野山公園になっています。
実はこれが名古屋市、そして愛知県では最初の公園。
愛知県が管理する公園としては、浪越公園、小牧公園(小牧城周辺)、岡崎公園岡崎城周辺)、稲置公園(犬山城周辺)の4ヶ所が同時期に開園しています。

那古野山古墳からは、公衆トイレ改築、公園整備にともなう工事で円筒埴輪片も出土しています。

ちなみに大須古墳群には、願証寺名古屋分院の後園に大須二子山古墳(前方後円墳)がありましたが、現存していません。
富士浅間神社、日出神社(ひのでじんじゃ)の社殿が建つ場所も古墳の墳丘だと推測されています。

                          ニッポン旅マガジンHPより
 
 

富岳三十六景の尾州不二見原

 
 
 
尾州不二見原」の舞台になったとされる中区富士見町をはじめ
千種区富士見町、昭和区八事富士見・・・・
名古屋市内には「富士」と入る地名が多くある。
現在のようなビルが立ち並ぶ前は、市内から富士山が見えたのだろうか?

日本地図センターがHP 上で公開する富士山可視マップ「富士山ココ」によると
知多半島の一部を除いた尾張地域で富士山を見られる場所はない。
浮世絵が描かれた江戸後期でも同様だったと考えられる。
地図ソフト「カシミール3D」で解析すると、
名古屋市内では富士山は猿投山(豊田市瀬戸市堺)に遮られている。
千㍍からやっと山頂の一部が見えるようです。


宝永4年(1707)には富士山が噴火し、その噴煙などが名古屋から見えたという記録もあるそうですが、江戸時代には富士山が見えるという意見が多いようです。
名古屋城天守閣最上階からは快晴の時の日の出以前に富士山が見え、志賀・田端・御器所・前津
からも同じ形に見えると記したものがあるようです。

結論として残念ながら名古屋から富士山は見えないそうです。
名古屋から見える富士山を描いたものでは「尾州不二見原」が有名ですが
北斎が描いた幻の富士山の正体は南アルプス聖岳だそうです。

名古屋市鶴舞中央図書館 2011年12月発行「名古屋幻の富士山」
中日新聞2023年10月31日朝刊   参考
 
 

Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)

聖岳

冬の空気が澄んだ日は、自宅近辺からでも御嶽山とともに聖岳も見える事がある。