興国山と号し、曹洞宗の寺院である。もと清善寺と号し、松平忠吉(清州城主、徳川家康の第四男)
が崇敬していた明嶺理察和尚を開山とし、清州に創建した。忠吉なき後その法名をとり大光院と改め、慶長十五年(1610)の清州越でこの地に移された。
境内の明王殿に祀る烏枢沙摩明王は、世の中の一切のけがれや悪を清め、霊験あらたかであるといわれる。尾張名所図会に「毎月二十八日を縁日として参詣羣集をなす」とあり、そのにぎわいは今も続いている。
名古屋市教育委員会 立て看板より
が崇敬していた明嶺理察和尚を開山とし、清州に創建した。忠吉なき後その法名をとり大光院と改め、慶長十五年(1610)の清州越でこの地に移された。
境内の明王殿に祀る烏枢沙摩明王は、世の中の一切のけがれや悪を清め、霊験あらたかであるといわれる。尾張名所図会に「毎月二十八日を縁日として参詣羣集をなす」とあり、そのにぎわいは今も続いている。
名古屋市教育委員会 立て看板より